記事分類:雑記

2012年2月21日

佐賀一郎

いろいろな知識を吸収していく。春休み、夏休みはそういう時期だ。

 しかし、これは自分の悪いところで、その行動がどうも野放図なものになりがちである。連想が連想を呼び、わらしべ長者……ならぬ、わらしべ貧者になりそうである。いずれにせよ前もって結末が分からないのが始末が悪い。念頭にあるのは来年担当する授業である。授業のために用意する知識が野放図になってはいけないのは、当たり前のことなのだが。

 ここでふと、I先生がいっていた「混沌のスープ」という言葉に思い当たる。どんなに野放図なものだったとしても、知識をたくわえ、思考を重ねていくことは、心の鍋に次から次に材料を投げ入れ、そこからダシをとることに違いない。目的が創作活動であったら、問題ないだろう。きっと創作行為のうちに消化・昇華されるだろうから……

 さて、それはそれとして、混沌のスープである。我がスープは、スープというにはあまりに沈殿している。見通しは悪く、残念ながら火力も弱いようだ(のぞき込む仕草)。だが、時折、人と会話していたり考え事をしていたり、あるいは何も考えていなかったりしているとき、何かのはずみでかき混ぜられ(まるで神の手のよう)、ある様相を呈することがある。その様相をうつしとると(転写すると)、幻惑、疑惑、当惑。ないまぜに、それらしく、せわしなく、何かおいしそうなものに見えることが、ごくまれにある。