2014年1月11日
あっという間の年こしを経て、手紙風のエントリーをここに残してみたい。
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振りかえれば2013年、するってえと今は2014年です。
こちらは、ドラミングと交尾とさえずりの秘めやかな連続性に思いをいたしつつ、単なる数字の並び順に、かぞえ歌なるものをおっかぶせた人間文化のきわどさ、精妙さに思わず最敬礼したくなるような、内気かつ逃避気味の、あいかわらずの日々を送っております。
一見無意味にも思える繰り返し=腰振りが、突然に新たな意味を生ずること。それがまた繰り返されつづけてきたこと。これは、この一身を含め、歴史の証明するところであります。そのカタルシスを「いくgo」とみなすか「くるcome」とみなすかの問題は残るものの、「のぼるup」ないし「おちるdown」という説もあり、そこのところはいっそ個人差ということにして、まずはそのちょっと手前のゆくとしくるとし──ある意味一番きわどく、またある意味一番平凡で、だからこそ一番にはかないところ、そこに一期一会とはるけき展望を、やはり期待しつづけたいところです。
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のぞみ新幹線の窓と天井の境目
ref. tumblr
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城ヶ島で一日釣りをしたが、夕方にカモメが付け餌に食いついてまさかの空中戦とあいなり、ハリスが飛んだところで納竿した時の記録。
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城ヶ島で釣り。何年越しの、いや何回目のリベンジか。朝から夕方まで粘ったが一尾も釣れず。愚痴話の最中、ふと感じた竿先の手応えに、思わずの強合わせ。待ってましたと振り向きざま、見るとウキが空中に浮かんでいた。その先にまさかのカモメ。カモメ─ウキ─竿先。竿先─ウキ─カモメ。立てた竿のやり場に困り、リールを巻く気にもなれず。せめてウキは回収したい。何度か竿をしゃくってみるが、暖簾に腕押し。空中戦のつかみどころのなさ。いたずらに羽ばたくカモメ。そのたびに鳴き声をあげるカモメ。旋回しながら、うらめしそうにこちらを見るカモメ。そう、あなたはカモメ。ごめん。数十秒ほどの引っ張りあいの果て、ハリスが飛んだところで納竿。納得の一日丸ボウズ。
この透明をあちらによけて
この透明は手元にのこし
好きな透明だけが目に入るように
徒労の香りまぎれなく
半 透 明
さかしらに横縞
不 透 明
閉じた瞼に
新 透 明
かえり咲き
向かいのホームで、携帯電話を耳にあてて、直立不動。
通話待ちの、今にも頭を下げ、お辞儀をしそうな風情である。
そういえば、つい先日、自分が言われたことである。
そして、「社会人ですね」という味わい深いコメントを、
もらったのだった。
パントマイムである。
駅のホームが、すなわち舞台である。
そして、向かいのホームからすると、こちらが舞台となり、
対向した舞台、もしくは見開き状の舞台がここに誕生する。
登場する電車、乗客は、さしずめ場面切り替え装置である。
さて、早速ここで場面切り替え──。
これは、相手を鑑賞しつつ、鑑賞される自分を思いながら演じる舞台である。あるいは、相手になりきる自分と、相手がなりきる自分を思う舞台である。
あなたとわたし。
書割と書割、書割の書割。
2人称の劇場、2人称のゲーム。
あれか、これか、
あれや、これや、
あれも、これも、
それとも……、あれ、これは人生?
電車が到着する。
ドアが……、開かないので「開く」ボタンを押す。
桜がまだ枝に残っているというのに、
足首に今年はじめての蚊。
肘にも。関節責め。
★
さらに、フロに今年はじめての蟻。
なぜ石鹸に群がるのですか?
(検索はするまい)
★
行間を読めとよくいいますが、先生、
行間は無限に分割可能なのです。
──つまり、そこには無限の感情や意味があるのです。
あれかこれかの問いを永遠とおけば、
目指す答えにたどり着くかどうかは問題でなくなり、
行為そのものが答えになりかわる。
生き死には、地平線、無限遠。
生死、即、無限小。
流転、変転、好転、暗転。
会場が開場。
会場を施錠。
暗幕に剣幕。
あれかこれか。
選択肢を増やそうが、複数回答可能にしようが、
そうした組織だった設問設定が持ち得る影響力は、
その輪郭のなんと小さなこと、
てんで問題にならない。
あれかこれかの合わせ鏡。
凸面鏡に凹面鏡。
脈絡のありやなしや。
その諸相、位相、異相。
意識、無意識の区別は言うまでもなく、
前後不覚のこともあり、
いずれあとさきなく、
つまるところ自由自在である。
遠近法の、存在と不在の併在である。
振り向くとすぐに手が届きそうな綾織物である。
継起する契機である。
契機する継起である。
網膜上のマニエリスムである。
網膜状のロマンチシズムである。
あれかこれかへの問いかけである。
あれかこれか……自体の歯応えである。
問いへの問い……概念の歯応えである。
無限を思うことである。
矛盾を思うことである。
無限と矛盾を媒介に、
自分を患い、自分に憩うのである。
自分に憩い、自分を患うのである。
詩文のようなものに仮託してなお、
分割の点を分割された世界の双方に置くとする、
かの数学的見解に納得できるか。
世界を二分し、自分を二分する。
いずれにも自分を置く。
それで自尊の念が発生するか。
減らない自分である。
痕跡として残され続ける自分である。
おちこちの自分、十重二十重の波形。
ロマンチシズムである。
マニエリスムである。
心である。
感情移入である。
契機、その心は、無限遠、無限小の継起。
継起、その心は、無限遠、無限小の契機。
オートマティックである。
あれかこれかである。
自分である。
いろいろな知識を吸収していく。春休み、夏休みはそういう時期だ。
しかし、これは自分の悪いところで、その行動がどうも野放図なものになりがちである。連想が連想を呼び、わらしべ長者……ならぬ、わらしべ貧者になりそうである。いずれにせよ前もって結末が分からないのが始末が悪い。念頭にあるのは来年担当する授業である。授業のために用意する知識が野放図になってはいけないのは、当たり前のことなのだが。
ここでふと、
さて、それはそれとして、混沌のスープである。我がスープは、スープというにはあまりに沈殿している。見通しは悪く、残念ながら火力も弱いようだ(のぞき込む仕草)。だが、時折、人と会話していたり考え事をしていたり、あるいは何も考えていなかったりしているとき、何かのはずみでかき混ぜられ(まるで神の手のよう)、ある様相を呈することがある。その様相をうつしとると(転写すると)、幻惑、疑惑、当惑。ないまぜに、それらしく、せわしなく、何かおいしそうなものに見えることが、ごくまれにある。
はじめてHTMLをマークアップしたのは、大学生になったばかりの1995年である。それから14年あまりになるが、何だかんだでHTMLをマークアップし続けている。2000年になってからは、仕事でHTMLを書くようになった。この頃からCSS・JavaScriptを本格的に扱うようになり、HTMLマークアップの作業内容が、加速度的に複雑化していった。それだけならまだいいが、ブラウザ対応の複雑化も同時に進行した。そのために仕事量がいたずらに増加していると感じ、一時期はHTMLコーディングが本当に嫌いだった。けれど、その後もHTMLを触っているところを見ると、心底嫌いにはならなかったらしい。
それは、自分の原体験が大きいのではないかと思う。大学の情報処理の授業で、テキストエディタ(emacs)の使用方法を教わった後、HTMLの書き方を教わった(ワープロの授業はなかった。かわりにTeXの使用方法を教わった。当時はWindows 95はまだ登場しておらず、学内のコンピュータ環境はUNIXで統一されていた)。HTMLの講義は一コマで終わる簡単なものだった。この時教わったのはHTML 1.0で、タグの数は全部あわせても一〇個程度しかなかった。講義を簡単に終わらせたのではなく、HTMLが簡単だったのである。
さて、授業がはじまり、講師に言われた通りHTMLマークアップした文書をネットワークサーバに保存し、URLとかいう、httpだのwwwだの、何だかよく分からない記号が含まれた文字列を、やはり講師に言われるがままに立ち上げておいたウェブラウザ(Mosaic)のアドレス欄に打ち込んだ。すると、先ほどマークアップしたテキストが、ブラウザウインドウ内にレイアウトされて表示された。講師曰く、「これで世界のどこからでも閲覧できる状態になっている。HTMLを書くことは、世界に向けて情報発信することである」。はたから見れば、人を煙に巻いているとしか思えない物言いだが、その時の自分は素直に納得し、結果、奇妙に興奮した。この時を境に、HTMLをマークアップすることが、そのまま体裁を整える作業であり、かつ世界に向けての情報発信であるという認識が、自分の中に居座ったようである。この経験がなかったら、HTMLを書き続けることはなかっただろう。
その後、情報教室に備え付けられたポストスクリプト対応レーザープリンタから、本で見かけるのと同じ文字(リュウミン)でウェブページを出力できることを知り、HTML好きがさらにエスカレートした。以降、大学時代を通して、普段のレポートから卒論まで、何でもHTMLで書いた。
やがて、情報処理教室のワークステーションにインストールされていたUNIX版のフォトショップを知った。画像にフィルター処理をかけまくって、それだけで何かしらの作品を作り上げたような、まるで酔いどれ気分。性懲りもなく、お手製の画像を添えては、とても人に見せられないような恥ずかしいウェブページをつくっては公開し、つくっては公開することを繰り返した。
美しい文書と言えば、同じくテキストをマークアップして表示を整えるTeXの表現能力は、今も昔も定評がある。当時の大学のカリキュラムからいっても、TeXの教授には力を入れていたようで、大学としてはTeXによるレポート作成を念頭に置いていたように思われる。たしかに、学生時代の初めのころはTeXでレポートを書いており、特に不満も感じていなかった。それでも、表現力のずっと劣っているHTMLを好きになり、やがてHTMLでレポートを書くまでになったのは、それが情報発信そのものであるという意識があったからではないか。
ここで「デザインとは情報を開示する技術である」(鈴木一誌『ページと力――手わざ、そしてデジタルデザイン』青土社、2002年11月1日)という言葉がふと頭に浮かぶ。そして、なにか割り切れないものを感じる。
それでは、1995年当時の自分が、HTMLマークアップと情報開示が一体化していることを知った時のあの興奮は何だったのだろう。HTMLマークアップする行為は、デザインする行為とどう違うのだろうか? こうしてグレーゾーンに進みたがるのは悪いクセなのかもしれないが、HTMLマークアップすることが情報の開示を意味するのなら、HTMLマークアップすることが、すなわちデザインすることである、と言えないだろうか?
かつて、ごく短納期でブックデザインの仕事を依頼され、JavaScriptとInDesignの組み合わせで自動組版を行ったことがある。この時作成したスクリプトは、データベースに登録された情報を抽出しながら、その情報をもとにして、テキストと画像を自動で割り付けていくというものだった。当時、ウェブだけでなく、印刷物のデザインも行うようになっていたのだが、自動組版を行ったのはこの時が初めてだった。初めてといっても、内容としては動的に生成されるウェブページのレイアウトをプログラムするのとほとんど同じである。
ウェブと違っていたのは、スクリプトの実行完了とともにページレイアウト終了とはせず、その後、手動で画像やテキストの位置を微調整することを前提にした、言わば「半」自動組版だった点である。このような方法をとったのは、条件分岐の数を極力減らすことによって、スクリプト作成にかける時間を短縮するためだった。言い換えれば、あらかじめすべての条件を想定したスクリプトを書くよりも、スクリプトによって生成されたページをひとつひとつ確認しながら、その場その場の判断で微調整を加えていった方が、完成までの所要時間がずっと少ないと考えたためである。
スクリプトが生成したページをひとつひとつ確認し、目と手を使って調整を加えるという、いかにもデザイン然とした作業を経て仕事を完成させるこの方式は、実際に納期が守れたことによって、ある程度成功した。それはそれでよかったのだが、何か説明のつかない不思議さが残った。
一般的に、HTMLマークアップは文書をタグ付けによって構造化する作業であり、視覚的操作をともなわないものとして理解されている。この考え方はCSSが普及して以来、一層浸透しているようである。けれど、実際には、HTML単体でもブラウザ表示が可能で、単体で読み込まれたHTMLは、マークアップ内容に応じた視覚像をウェブブラウザによって与えられる。したがって、HTMLマークアップ作業を終えた時点で、事実上のデザイン完了とすることもできる。自分のHTMLマークアップの原体験がまさにそれだった。
それと対照的に、「半」自動組版のために用意したスクリプトは、スクリプトの実行後に手作業という要素を意図的に介在させたものだった。これが、自分自身に刷り込まれていた情報開示の認識を揺り動かす事態を招いたようである。しかも、それを自分自身でも認識できなかったために、説明しがたい「不思議」さが残ったと思われる。
ウェブページはさておき、あらゆるデザイン制作物は、普通、所定の工程を経て複製された工業製品としての一面を持っている。したがって、デザイン制作物は、複製のための専門技術、工程を経た結果であり、その時々の複製技術を体現した記録資料、時代のドキュメントとして存在している。デザインが「情報を開示する技術」であるとすれば、デザイナーの職能=技術とは、情報開示の方法を定めることである。ここでいう「方法」とは、グラフィックデザインに関して言えば、情報に視覚像を与える技術と言えるだろう。ただし、それはあくまで「方法」の範囲を超えるものではない。情報に実体を与えるのは、デザイナーではなく、複製技術である。
一方、HTMLマークアップは、情報開示の方法を定める(ブラウザによってレンダリングされる視覚像を定める)だけでなく、情報に実体を与える(情報ネットワークを通じた内容閲覧を可能にする)ことをも兼ねている。もし、HTMLマークアップを、ごく素朴な意味で「デザインである」と言い得るのなら、それは、従来型のデザイン=複製技術時代のデザインとは異なる、ネットワーク技術時代のデザインを体現しているのではないだろうか。
これまで、印刷工場の見学を何度か行ったことがあるが、その都度、そこで行われている手わざに目を見張り、それがやがて失われる運命にあることを知って、その技術的な遺産、手わざを惜しむ気持ちで一杯になるのが常だった。とりわけ、活版印刷技術がそうである。そのためか、DTPの浸透により、デザイナーのカバーしなければならない領域が拡大してしまうことを嘆く声や、印刷用書体・日本語組版の品質低下を嘆く声など——要するに情報処理技術の進展がデザインにもたらすマイナス面ばかりが目についていた。一方で、デザイナーの個人的な趣味をおしつけるような、つまり、それが運ぶ内容と外観が全く一致していないようなデザイン制作物が数多く目にとまるようになり、そんなこんなで感極まってしまったのかどうか定かでないが、このごろは、デザインの未来は、趣味の世界の延長線上にしかないのではないか、とさえ思う時があった。
HTMLマークアップは、ウェブブラウザに依存し、ネットワークに依存している。そのため厳密な視覚像を定義できない不完全さがある。しかし、まさにその点に、新しさと、素朴さと、親しみとを感じる。これもまた、ちょっとした日記を書くつもりで、こんなに長々と文章を書いてしまったために感極まってしまった結果に過ぎないのかもしれない。それでも今は、HTMLマークアップを、あるいはあの時感じた「奇妙な」興奮を、デザインの未来につながっているものとして信じてみたい気がする。
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