2012年10月18日

言葉のかたちとデザイン 2012, no. 1

女子美術大学図書館主宰タイポグラフィ特別講座

佐賀一郎

イベント告知ポスターを制作した。幸か不幸か、ポスターをデザインする仕事は滅多にこない。数少ない仕事のひとつとして記錄代わりにエントリーする。告知しているのは、女子美術大学図書館主宰で開催されるタイポグラフィをテーマとする連続講座。講座自体にも関わっているので、改めて投稿したい(できるかな?)。


女子美術大学図書館主宰タイポグラフィ特別講座[言葉のかたちとデザイン]ポスター。使用書体:游ゴシック体M, B+Univers 65, 45

火曜日、片道2時間かかる学校までの行き帰りの電車で作業し、そのまま深夜から朝にかけて微調整。翌日の水曜日に学内の大型プリンタで各種サイズを出力し、A2判コピー機を使って縮小版のポスターを量産。すかさず掲示にまわす。こんな芸当ができるなんて素晴らしい時代だと思った。

これまでにも言われていることだが、ある限定されたコミュニティに対して告知をするのであれば、大型プリンタ/コピー機の組み合わせで充分であると実感した。

これは既存の大量生産を前提とした[グラフィックデザイン]とはまったく異なる価値観である。たとえ使用するソフトが同じ=原稿形態がまったく同じだったとしても。

一般的な流通ルートを経由するわけでも業務用の印刷機械を利用するわけでもないので、用紙も判型もほとんど制約がない。部数が数枚におさまるのであれば、複製のしやすさを度外視できる。さらにまた、手軽にコピー機にかけられる単色のデザインも、独自の価値を持つことになる。

数万部から数百部、数十部へ──。これまでの印刷技術がひたすらに大量生産(規模と経済)を指向していたとすれば、それと逆行する価値観がグラフィックデザインの世界に生じているようである[注1]。最近、印刷物の物質性が問われ、その表現の多様性に焦点が当てられているのも、その裏付けになるだろうか。仮にそうだったとして、それではこの価値観が[グラフィックデザイン]の技術、表現に及ぼす影響は? そして、もっと重要なことだが[グラフィックデザイナー]のあり方は今後どのように変化していくだろうか? さらにまた、そうした価値観の中からこれまでのように時代を切り開く個性が登場し、グラフィックデザインの世界に影響を与えるとして、それは一体どういった手段・方法・機会によるだろうか?

注1 一方でグーグルやヤフーが数億ページビューをたたき出しているわけだが、これを印刷物風に言えば数億部の[複製]が行われたということである。言い方を似せることはできたとしても、そこには印刷産業とはかなり尺度の違った経済意識がついてまわっている。なんとも対照的なことだ。