2014年1月11日
桜がまだ枝に残っているというのに、
足首に今年はじめての蚊。
肘にも。関節責め。
★
さらに、フロに今年はじめての蟻。
なぜ石鹸に群がるのですか?
(検索はするまい)
★
行間を読めとよくいいますが、先生、
行間は無限に分割可能なのです。
──つまり、そこには無限の感情や意味があるのです。
あれかこれかの問いを永遠とおけば、
目指す答えにたどり着くかどうかは問題でなくなり、
行為そのものが答えになりかわる。
生き死には、地平線、無限遠。
生死、即、無限小。
流転、変転、好転、暗転。
会場が開場。
会場を施錠。
暗幕に剣幕。
あれかこれか。
選択肢を増やそうが、複数回答可能にしようが、
そうした組織だった設問設定が持ち得る影響力は、
その輪郭のなんと小さなこと、
てんで問題にならない。
あれかこれかの合わせ鏡。
凸面鏡に凹面鏡。
脈絡のありやなしや。
その諸相、位相、異相。
意識、無意識の区別は言うまでもなく、
前後不覚のこともあり、
いずれあとさきなく、
つまるところ自由自在である。
遠近法の、存在と不在の併在である。
振り向くとすぐに手が届きそうな綾織物である。
継起する契機である。
契機する継起である。
網膜上のマニエリスムである。
網膜状のロマンチシズムである。
あれかこれかへの問いかけである。
あれかこれか……自体の歯応えである。
問いへの問い……概念の歯応えである。
無限を思うことである。
矛盾を思うことである。
無限と矛盾を媒介に、
自分を患い、自分に憩うのである。
自分に憩い、自分を患うのである。
詩文のようなものに仮託してなお、
分割の点を分割された世界の双方に置くとする、
かの数学的見解に納得できるか。
世界を二分し、自分を二分する。
いずれにも自分を置く。
それで自尊の念が発生するか。
減らない自分である。
痕跡として残され続ける自分である。
おちこちの自分、十重二十重の波形。
ロマンチシズムである。
マニエリスムである。
心である。
感情移入である。
契機、その心は、無限遠、無限小の継起。
継起、その心は、無限遠、無限小の契機。
オートマティックである。
あれかこれかである。
自分である。
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