佐賀一郎 Ichiro Saga 多摩美術大学 美術学部グラフィックデザイン学科 准教授 女子美術大学短期大学部 造形学科 非常勤講師 日本大学大学院 芸術学研究科 非常勤講師 美術博士(女子美術大学) https://researchmap.jp/ichirosaga https://www.instagram.com/ichirosaga https://www.threads.com/@ichirosaga タイポグラフィ、デザイン史、デジタルアーカイヴにかかわってきました。 それぞれに自分を魅了し、重要なものとして捉えています。 どうにかして、これらを同じ位相に置けないか。 それぞれが、互いを照らしあうような関係をつくることはできないものか。 目的と手段との間にも同じ関係を見ようとしています。 目的を実現する手段は、常にそれ自体の自律性を持っており、それゆえに目的から逸脱しようとするポテンシャルを常に内包しています。 手段を生みだす目的は、常に手段を自身(目的)の支配下に置こうとしますが、その目的自体もまた常に流動する世界の中で、その位置づけがあいまいになったり霧散し、手段から遊離する可能性を内包しています。 そのように考えると、目的と手段の関係は、論理的には不即不離であるとみなし得るように思えますが、実際にはたがいにたがいから逸脱し、漂泊する傾向を強く維持している。 もちろんこれは極端な考え方であると了解しています。たとえば工学的領域においては、私が注目している上記のような目的と手段の関係はまったくもって考慮される必要のないことでしょう。 ですが、ひとたび個人の生活レベルやデザインやアートなどの造形表現の関わる領域、あるいは哲学や文学、民俗学、宗教学など、人の感性や心性が関わる領域(一般的に文化と呼称される領域)においては、むしろ逆に、目的と手段の分裂傾向がむしろリアリティをもって受け入れられるべきものだと思えます。 つまり、統合ではなく分裂傾向にこそ、人間文化の深層を見たい。 統合の意思は、分裂傾向を最大化するための装置であると考えたい。 進歩主義ではなく、一種の循環思想をもって、健全さを最重要視したい。 と、そのようなことを考えています。