書誌
私は、私こそこの異常な作品を最初に見た人間だと堅く信じてゐる。マラルメはそれを脱稿すると直ぐ〔引用者註:「骰子一擲」のこと。1897年、雑誌『コスモポリス』に初出〕、彼の家へ来るやうに私に言い寄越した。……ひどくくすんだ、正方形の、捩れ脚の木机の上に、彼は、彼の詩の原稿を置いた。さうして、低い、なだらかな、少しも「当て気」のない、殆ど自分自身に聴かせるやうな聲で読み始めた……」「私には、初めて吾々の空間に置かれた一つの思惟の形象を見るやうに思はれた……。ここにこそ、真に、拡りといふものが語り、想ひ、現し身の形を生んだのである」「──私は宇宙秩序に於ける一事件に立会ったのではなからうか。これは言はば、此の机上、此の刹那に、此の存在、此の勇者、これほど簡素な、これほど温和な、これほど天性高貴で魅力のある此の人物に依って、私に描き出された「言語創造」の観念的光景ではなかったらうか。」 ──ポール・ヴァレリー「骰子一擲のこと」『ヴァリエテ II』安士正夫、寺田透〔訳〕、白水社、1939年8月26日、pp. 165–172。
およそ東西南北と満遍なく振分けた方角のあるところなんぞに、気のきいたバケモノが出るはずもない。この筋その筋と筋だくさんの文明の産物とは、佐太はうまれがちがう。そもそも佐太のおいたちはかの林檎の木の下の穴、その地の底を極として出発した。すでに極である。そこには東西南北はない。 ──石川淳『荒魂』1963年
数日来ほとんどたえずそうだったが、今また彼は心の中で神さまの前に立ち、ひっきりなしに神さまと話していた。彼は恐れは少しもいだかなかった。神さまはわれわれにたいし何もしないことを、彼は知っていた。ふたりは、神さまとクヌルプは、互いに話しあった。彼の生涯の無意味だったことについて。 …… 「いいかい」と神さまは言った。「わたしが必要としたのは、あるがままのおまえにほかならないのだ。わたしの名においておまえはさすらった。そして定住している人々のもとに、少しばかり自由へのせつないあこがれを繰り返し持ちこまねばならなかった。わたしの名においておまえは愚かなまねをし、ひとに笑われた。だが、わたし自身がおまえの中で笑われ、愛されたのだ。おまえはほんとにわたしの子ども、わたしの兄弟、わたしの一片なのだ。 ──ヘルマン・ヘッセ『クヌルプ』1915年
そこにそうしていると、波の音と、水の激動が、僕の感覚を定着させ、僕の魂から一切の激動を駆逐して、魂をあるこころよい夢想の中にひたしてしまう。そして、そのまま、夜の来たのを知らずにいることがよくある。この水の満干、水の持続した、だが間をおいて膨張する音が、僕の目と耳を撓まず打っては、僕の裡にあって、夢想が消してゆく内的活動の埋め合わせをしてくれる。 …… 僕は長い一生の有為転変の中にあって気づいたのだが、最も甘美な享楽と、最も強烈な快楽の時代というものは、その追憶が僕を最も惹きつけ、感動させる、そういった時代では案外ないものである。あの夢中と熱狂の短い時期は、それがどんなに激しかろうとも、また、その激しさそのもののために、実は、人生という線の中のまばらな点々にすぎないのである。それらの時期が、一つの状態を構成するには、あまりに稀有であり、あまりに早く過ぎ去る。そして、僕の心が思慕する幸福というのは、消えやすい瞬間でできているのではなくして、単純で、永続的の状態なのである。それ自身においては、激しい何物も有していないが、その持続が魅力を増加していって、ついには、そこに最高の幸福が見いだされるにいたる、そういう状態なのである。 ──ルソー「第5の散歩」『孤独な散歩者の夢想』青柳瑞穂〔訳〕、新潮文庫、新潮社、2016年3月25日。Jean Jacques Rousseau, “Les Reveries du Promeneur Solitaire,” 1782.
もしかして狂女のようなものに自分がなるとして、そのようなこともまたあり得ないことではない。 ──武田泰淳『海肌の匂い』1949年
見るという行為を一瞬も止めない。未来永劫それをつづけそうな眼であった。 ──武田泰淳『異形の者』1951年
もし死ななかったらどうだろう? もし命を取り止めたらどうだろう? それは無限だ! しかも、その無限の時がすっかりおれのものになるんだ! そうしたら、おれは一つ一つの瞬間を百年に延ばして、一物たりともいたずらに失わないようにする。そして、おのおのの瞬間をいちいち算盤で勘定して、どんなものだって空費しやしない。 ──ドストエフスキー『白痴』1868年
豹(1907–08新詩集より) パリ 植物園にて 通りすぎる格子のために 疲れた豹の眼には もう何も見えない 彼には無数の格子があるようで その背後に世界はないかと思われる このうえなく小さい輪をえがいてまわる 豹のしなやかな剛い足なみの 忍びゆく歩みは そこに痺れて大きな意志が立っている 一つの中心を取り巻く力の舞踊のようだ ただ 時おり瞳の帳が音もなく あがると──そのとき影像は入って 四肢のはりつめた静けさを通り 心の中で消えてゆく ──リルケ『豹』1907–8年
思考を健全にしうるのは労働によってのみであり、労働を幸福なものとしうるのは思考によってのみなのであって、両者を分離すればかならず罰があたる。 ──ジョン・ラスキン『ゴシックの本質』1851–53年、p. 48。
市九郎は一心不乱に槌を振った。槌を振っていさえすれば、彼の心には何の雑念も起らなかった。人を殺した悔恨も、そこには無かった。極楽に生れようという、欣求ごんぐもなかった。ただそこに、晴々した精進の心があるばかりであった。彼は出家して以来、夜ごとの寝覚めに、身を苦しめた自分の悪業の記憶が、日に薄らいでいくのを感じた。彼はますます勇猛の心を振い起して、ひたすら専念に槌を振った。 菊池寛『恩讐の彼方に』1919年
新しい作品は、本当に新しいと言える作品は、過去の作品の秩序にある変化をおこす。これまでの秩序は新しい作品が出てくる前にできあがっているものであって、その新しいものが加わった後もなお秩序が保たれるためには、たとえわずかでも、従来の秩序全体が変わらなくてはならない。 ──T.S.エリオット『伝統と個人の才能』1919年
滅び去った民族、消え失せた集団、抹殺された国は数知れない。生ある者は、かならず死ぬ。(中略)時間は、空間によって支えられている。空間的なひろがりを拒否して、せまき個体の運命にとどまることは許されない。すべてのものは、変化する。おたがいに関係しあって変化する。この「諸行無常」の定理は、平家物語風の詠嘆に流してしまってはいけない。無常がなかったら、すべては停止する。 ──武田泰淳「わが思索、わが風土」朝日新聞社〔編〕『わが思索 わが風土』朝日新聞社、1972年11月10日。
ここでわれわれは、必ずしもいつも明瞭に意識されるとは限らない特有の困難に遭遇する。すなわち、理念と経験の間には一定の間隙が厳然として存在しているように見えて、われわれがそれを飛び越えようといかに全力を尽くしてもむだである。それにもかかわらず、われわれが永遠に努力してやまないのは、この深い間隙を理性・悟性・想像力・信仰・感情・妄想をもって、もしほかにできることがなければ荒唐無稽をもってしても克服することである。 ──ゲーテ『省察と忍従』1818年
言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。 ──小林秀雄「美を求める心」1957年
エジプトのピラミッドは、遠くで見るのと近くで見るのとでは様子が違います。遠くで見た場合は、どうしても言葉が必要になると思うのです。なぜかと言うと、ピラミッドは一体空に属しているのか地上に属しているのか、その判断が非常にむずかしいからです。見た時の実感はあるわけなんですが、その実感を表現できるものがあるとすれば言葉でしかない。実際にピラミッドを近くで見る場合には、物量とか石のもつ質感とか、そういうものが見えてくる……離れた場合は言葉で表すことになる。昔からそういうことが行われてきたと思うのですが。 ──若林奮、前田秀樹『対論 彫刻空間:物質と思考』書肆山田、2001年12月25日、p. 102(若林奮の発言)。
度々説明したと同じ事をここに再び繰返すのを許して下さい。自然は球体、円錐体、円筒体として取扱われねばならぬ、その諸(すべ)てが透視法に従い、物体と面(プラン)の前後左右が中心の一点に集中さるべきである。広さを示す水平の併行線は一種の自然の区画で、吾々の目前に Pater omnipotene aeterne Dus.(全智全能永遠の神)が開展した素晴らしい光況(スペクタクル)と云って差支えはない。この水平線に交叉する鉛垂線は深みを加える。自然は拡がりよりも深みに於て見られるべきもので、この点から赤や黄色で、表される光の波動の中に空気を感ぜしめるために青の量を十分入れる必要がある。 ──エミル・ベルナール『回想のセザンヌ』有島生馬〔訳〕、岩波書店、1953年6月15日、pp. 57–8(セザンヌから著者ベルナールに宛てた手紙より。1904年4月15日付)。Emile Bernard, Souvenir sur Paul Cézanne, Paris: Société des Trente, 1912. * 有島生馬(1882–1974)は有島武郎の実弟である(http://ja.wikipedia.org/wiki/有島生馬)。
ちょうど氷のことが講義で話題になっていた時、「滑るというのは、水の骨のことである」とわたしは発言した。 ... 「魂」という字は鬼が云う、と書きます、つまりものを云う鬼が魂です、と発言した。講堂にどっと笑いが起こった。つまり、わたしがしゃべっていても、実際はそれは鬼を招待して、その鬼にしゃべらせているのであって、そういう訳で、わたしの魂の本音はいつも鬼のしゃべっていることです。 ... 一度ある言葉に捕えられてしまうと、その言葉に繫がっているいろいろな言葉が鎖になって、わたしの欲望を縛り上げてしまう ... 「女たちが遊んでいる。道に捨てられた文字を拾う女、蜘蛛が怖いから密封テントの中で寝る女、いつも煙草の三分の一を吸っては火を消してしまう女、郵便配達の手伝いをしている女、何をしても指が痛い女、詩を書く時にいつも梨を齧っている女」この歌を聞いて、わたしたち三人は深刻に黙り込んでしまった。 ... 鬼の字が入ってきたので、張り詰めていた力がゆるんで、ほぐれ、隙間から新しく流れ込んできたものがある。戸惑いの唇がくずれて、笑いに変わった。回転する車輪のように亀鏡が笑い、その笑い声の中にわたしは虎を見た。 ──多和田葉子『飛魂』1998年5月6日。 * 本書の登場人物の名前は、右に示す通り独特である:梨水、亀鏡、煙花、紅石、指姫、粧娘、朝鈴……。著者によれば漢字を適当に組みあわせてつくられたという。そのため著者にすら読み方がはっきりしないものがあるという。漢字のイメージが組みあわされて生じるあらたなイメージ。漢字のイメージ形成力。
科学は抽象を意味し、抽象はつねに現実の貧困化である。科学的概念で記述されているような事物の形式は、しだいしだいにたんなる公式となる傾向を示す。これらの形式は驚くべきほど単純なものである。単純な公式は、ニュートンの引力の法則のように、我々の物的宇宙の全構造を包含し、説明するように見える。現実は、我々の科学的抽象によって近づき得るばかりでなく、それによって完全につかむことができるように思われるであろう。しかし、我々が芸術の領域に近接するやいなや、これが錯覚であることが判明する。なぜならば、事物の様相は無限であり、それらは各瞬間に変ずるからである。単純な公式にあてはめて、それらを了解しようとする試みはすべて無益であろう。太陽は日々に新しいというヘラクレイトスの言葉は、科学者の太陽にはあてはまらないとしても、芸術家の太陽にとっては真理である。科学者が対象を記述するときに、彼は、それを一組の数により、その物理的および化学的定数によって、特徴づける。芸術は異なった目的のみでなく、異なった対象を必要とする。もし、我々が二人の芸術家について、彼らが「同じ」風景を画いているというならば、我々の美的経験を極めて不完全に述べているわけである。芸術の立場からは、このように同一と思われているものは、全くの錯覚である。 ──カッシーラー『人間:シンボルを操るもの』宮城音弥〔訳〕、岩波文庫青673-5、岩波書店、1997年6月16日、pp. 306–307。Ernst Cassirer, An essay on man, New Haven: Yale University Press, 1944.
ヴォリンゲルが語ったような意味で「抽象」という言葉を使うとすると、「感情移入衝動」と「抽象衝動」の二つは対立している。感情移入衝動というのは、中枢的な行動を取る身体を中心として世界を組織づけて、一番自分の身体にとって心地よい要素だけで世界を作り直すということでしょう。それに対して抽象衝動というのは、要するに、自然が怖い、渾沌である、暗黒である──だからこれを何とか制御したい、鎮めたい、そこに秩序を持ち込みたい、そういう衝動です。 ──若林奮、前田秀樹『対論 彫刻空間:物質と思考』書肆山田、2001年12月25日、p. 117(前田秀樹の発言)。
見ることは、不思議である。見るというごく当たり前の行為には、私たちの意識の及ばない何かが潜んでいる。たとえば印刷物──グラフィックデザインを見る時、私たちは、印刷された紙を見るだろうか。それとも、印刷された図像を通じて心象に結ばれる、それとは別のイメージを見るだろうか。それは、そのように簡単に区別できることだろうか。そもそもその内実を、実感に即して誰かと共有したり、客観的に説明できるだろうか。つまるところ不思議と形容せざるを得ないむずかしさ、不条理さ、不可能さに、見ることの本質があるのだろう。ならばそこには、広く、見ることの文学、あるいは見ることのポエジーがあるだろう。 ──2022年10月、女子美術大学Joshibi SPACE 1900で開催された林規章グラフィックデザイン展に寄せた文章からの抜粋
カンヴァス上で一人の女、一本の木、あるいは一頭の雄牛は具体的な要素であるのか? そうではない。/一人の女、一本の木、あるいは一頭の雄牛は、自然の状態では具体的であるが、絵の状態ではそれらは、抽象的で、錯覚で、曖昧で、思弁的である。それに反して、一本の線は一本の線、一色は一色、ひとつの平面はひとつの平面であり、それ以上でもそれ以下でもない。/具体絵画──精神は成熟の年に達した。それは、具体的なやり方でそれ自身を表明するために、明快な、知的な手段を必要とするのだ。 ──テオ・ファン・ドゥースブルフ「具体絵画の基礎についての註釈」草深幸司〔訳〕『構成的ポスターの研究』ポスター共同研究会・多摩美術大学〔編〕、中央美術公論社、2001年11月22日、pp. 247–248。(Theo van Doesburg, ‘Base de la peinture concrète and Commentaires sur la base de la peinture concrète,’ “Art Concret,” no. 1, Paris: 1930.)
本来それだけに備わっている手段と法則を基にして、自然現象の外見を模倣することなく、つまり、“抽象”することから生じたのではない芸術を、私たちは具体芸術と呼ぶ。〔中略〕具体芸術はその独自の性格からいって自立したもので、自然現象と等価値の存在なのだ。それは人間精神の表現であるべきで、人間精神のものと決められており、そして具体芸術は明確で曖昧さのないもので、人間の精神によって期待できるような完全なものであろう。 ──マックス・ビル「一つの見解」草深幸司〔訳〕、前掲書、p. 249(Max Bill, ‘Ein Standpunkt’ In Katalog der Ausstellung, “Konkrete Kunst,” Basel: 1944.)
カンヴァス上で一人の女、一本の木、あるいは一頭の雄牛は具体的な要素であるのか? そうではない。 一人の女、一本の木、あるいは一頭の雄牛は、自然の状態では具体的であるが、絵の状態ではそれらは、抽象的で、錯覚で、曖昧で、思弁的である。それに反して、一本の線は一本の線、一色は一色、ひとつの平面はひとつの平面であり、それ以上でもそれ以下でもない。 具体絵画──精神は成熟の年に達した。それは、具体的なやり方でそれ自身を表明するために、明快な、知的な手段を必要とするのだ。 ──テオ・ファン・ドゥースブルフ「具体絵画の基礎についての註釈」草深幸司〔訳〕『構成的ポスターの研究』ポスター共同研究会・多摩美術大学〔編〕、中央美術公論社、2001年11月22日、pp. 247–248。(Theo van Doesburg, ‘Commentaires sur la base de la peinture concrete,’ “Art Concret,” Paris: 1930.)
以下に引く〈色彩〉と〈運動〉に関するテスト氏(ヴァレリー)の所感は、〈形象〉と〈文字〉に対しても多少当てはまるところがあるのではないか。 色彩の考察で運動を説明しようとは、だれも思いつくまい、ところが、その逆は試みられているし、あるいはかつて試みられた。したがって、ここには不均衡がある。 ──ボール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』清水徹〔訳〕、岩波文庫赤560-3、岩波書店、2004年4月16日初版、2009年4月15日第7刷、p. 144「ムッシュー・テストの思想若干」より。Paul Valéry, “Monsieur Teste,” 1946.
わたしの見るものがわたしを盲目にする。わたしの聞くものがわたしを聾にする。この点ではわたしは知っている、というそのことが、わたしを無知にする。 ──ボール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』清水徹〔訳〕、岩波文庫赤560-3、岩波書店、2004年4月16日初版、2009年4月15日第7刷、p. 95「ムッシュー・テスト航海日誌抄」より。Paul Valéry, “Monsieur Teste,” 1946.
一本の線は木の葉の輪郭をとらえようとしているのだろうか。線はすぐに折れ曲がり、葉脈の一つを描き出すかもしれない。あるいはそれは木の葉の上をさまよいながらも、その向こうにひろがる空間を暗示するためのものであり、木の葉を渡る風の道のようなものにかわっていきさえもするだろう。 線はためらいながらはじまったばかりであり、単なる小さな線分にしか過ぎない。しかし単なる小さな線分であるにしても、すでにそれは生きはじめているのだ。線は出現の瞬間瞬間一つの身体である。それは線が裸婦のような生きるものの肌合いを伝える場合だけとはかぎらない。三角形や四角形といった幾何学的な記号である場合ですら、線は独自の肉体を持つことで現実のものとなるのだ。 線をひいていく私は、線を生きている。それは稚拙さの度合いによってきまるのではない、私が線を生きると感じるように、誰もが線を生きるだろう。もし人が線の出現を見、そして線の出現に自らの生を生きるならば。 ──宇佐見圭司「線の肖像:レオナルドの思考」『線の肖像:現代美術の地平から』小沢書店、1980年10月20日、pp. 149–150。
鎌倉のいわゆる谷の奥で、波が聞える夜もあるから、信吾は海の音かと疑ったが、やはり山の音だった。遠い風の音に似ているが、地鳴りとでもいう深い底力があった。自分の頭のなかに聞えるようでもあるので、信吾は耳鳴りかと思って、頭を振ってみた。音はやんだ。音がやんだ後で、信吾ははじめて恐怖におそわれた。死期を告知されたのではないかと寒けがした。 ──川端康成『山の音』1949年。
西田哲学においては、したがって西田哲学的に解釈された日本語においては、知覚する主体もまた、究極的には存在しない。雷鳴が聞こえているとき、海が見えているとき、それを聞いたり見たりしている主体は、存在しない。雷鳴が聞こえているということ、海が見えているということが、存在するだけである。あえて「私」と言うなら、私が雷鳴を聞き、私が海を見るのではなく、雷鳴が聞こえ、海が見えていること自体が、すなわち私なのである。しかし、そこまで行けば、「聞こえている」「見えている」もよけいだろう。「聞こえている」とか「見えている」とか言ってしまうと、どうしても、聞いているのは、見ているのは、誰か?という問いが喚起されてしまうからだ。雷鳴が聞こえていることではなく、その雷鳴そのものが、海が見えていることではなく、その海そのものが、存在するだけだ。それらとは独立の知覚作用や知覚主体は存在しない。あえて「私」と言うなら、こんどは、雷鳴自体、海自体が、すなわち私なのである。 ──永井均『西田幾多郎:言語、貨幣、時計の成立の謎へ』2018年。
五・六三二 主体は世界に属さない。それは世界の限界である。 ──ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』1921年。
あけぼののもやのなかで高らかに鳴く鶏は、自分の歌が太陽を生むのだと思い込む。とざされた部屋で泣きわめく子供は、自分の叫びがドアをあけさせるのだと思い込む。 ──ルネ・ドーマル「覚書」『類推の山』巖谷國士〔訳〕、河出文庫、河出書房新社、1996年7月4日、p. 191。初出:白水社、1978年。René Daumal, Le mont analogue, Editions Gallimard, 1952.
彼は私たちをつぎつぎに訊問した。その問いのひとつひとつは──私たちは誰なのか、どうしてここへ来たのか、といったたぐいのしごく単純なものではあったが──私たちの不意をおそい、はらわたまで突きささってくるものだった。あなたは誰なのか? 私は誰なのか? 領事館員とか税関役人に答えるように答えるわけにはいかなかった。名前をいい、職業をいえというのか?──そんなものになんの意味があるだろう? それにしてもおまえは誰なのか? そしておまえは何なのか? 私たちの口にする言葉は──それ以外にいいようがなかったのだが──生気がなく、屍骸のように見苦しいか愚かしいかであった。私たちは今後、〈類推の山〉の案内人たちの前では、もはや言葉だけでは満足してはいられないだろうということを知ったのだ。 ──ルネ・ドーマル『類推の山』p. 121
混沌とした、幼虫めいた、あやかしの世界を描いたあとで、僕はいまや、もっと現実的でもっと首尾一貫した、美、善、真がそこに実在しているような、ある別世界の存在について語ろうと思いたちました──ただし、そのような世界と接触することができてはじめて、それについて語る権利と義務があたえられるのですが。 ──ルネ・ドーマル「初版への序」『類推の山』
Un soir, il me répondit : « — L’infini, mon cher, n’est plus grand-chose, — c’est une affaire d’écriture. L’univers n’existe que sur le papier. ある晩、彼はわたしに答えてこう言った。「──ねえきみ、無限なんて、もうたいしたものじゃない、──それは文字のうえの問題さ。宇宙とは紙のうえにしか存在しない。 「いかなる観念もそれをあらわしはしない。いかなる感覚もそれを示しはしない。それは話すことはできるが、それ以上ではない」 ──ボール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』清水徹〔訳〕、岩波文庫赤560-3、岩波書店、2004年4月16日初版、2009年4月15日第7刷、p. 123「対話」より。Paul Valéry, “Monsieur Teste,” 1946.
あけぼののもやのなかで高らかに鳴く鶏は、自分の歌が太陽を生むのだと思い込む。とざされた部屋で泣きわめく子供は、自分の叫びがドアをあけさせるのだと思い込む。 ──ルネ・ドーマル「覚書」『類推の山』河出文庫、p. 191
パノフスキーがカッシーラーから借りた〈象徴(シンボル)形式〉とは、「精神的意味内容が具体的感性的記号に結びつけられ、この記号に同化されることになる」その形式のことであり、彼は遠近法をそうした〈象徴形式〉の一つとしてとらえてみせるのである。 ──木田元「訳者あとがき」『〈象徴形式〉としての遠近法』ちくま学芸文庫、木田元〔監訳〕、川戸れい子、上村清雄〔訳〕、2009年。Erwin Panofsky, Die Perspektive als “symbolische Form,” Vorträge der Bibliotek Warburg, 1924–25.
「ざわわ、ざわわ」で始まる歌(『さとうきびばたけ』)があるが、わたしはあれを聞くと、耳が聞こえ始める時のようだ、と思う。音はあのように入ってくる──というより、起こってくる。あらゆる音が──くっきりしたのも、ただからだに響いてくる感じといった、音にもならぬ振動のようなものも──鋭いのもやわらかなのも、まだそれぞれを聞き分けるということの始まる以前に、ぜんぶ一緒になった「ざわわ」なのだ。 ──竹内敏晴『声が生まれる』中公新書、2007年。
──ベンワー B. マンデルブロ『フラクタル幾何学』広中平祐〔監訳〕、日経サイエンス、1985年1月10日、p. 155。Benoît B. Mandelbrot, “The Fractal Geometry of Nature,” revised edition, San Francisco: W.H. Freeman, 1977, 1983.
──Benjamin Jotham Fry, “Organic Information Design,” Thesis for Master of Science in Media Arts and Sciences at the Massachusetts Institute of Technology, May 2000.
──ルネ・デカルトの『方法序説』結晶のスケッチ、1637年。
──スチュアート・ブランドによる「文明の序列モデル」Stewart Brand, “Clock Of The Long Now,” 2000.
ダニには受容器と実行器をそなえた体のほかに知覚標識として利用できる三つの知覚記号が与えられている。そしてダニはこの知覚標識によって、まったくきまった作用標識だけを取り出すことができるよう行動の過程をきしっかり規定されている。 ダニを取り囲む豊かな世界は崩れ去り、重要なものとしてはわずか三つの知覚標識と三つの作用標識からなる貧弱な姿に、つまりダニの環世界に変わる。だが環世界のこの貧弱さはまさに行動の確実さの前提であり、確実さは豊かさより重要なのである。 ──ユクスキュル、クリサート『生物から見た世界』日高敏隆、羽田節子〔訳〕、岩波文庫青943-1、岩波書店、2005年6月16日、pp. 22–24。Jakob von Uexküll, Georg Kriszat, Streifzüge durch die Umwelten von Tieren und Menschen, 1934; 1970.
──杉浦康平《イヌ地図》『遊』6号、工作舎、1973年。
私たちは、ふつう、時計を使って時間を測る。あの、歯車と振子の組み合わさった機械が、コチコチと時を刻み出し、時は万物を平等に、非情に駆り立てていくと、私たちは考えている。 ところがそうでもないらしい。ゾウにはゾウの時間、イヌにはイヌの時間、ネコにはネコの時間、そして、ネズミにはネズミの時間と、それぞれ体のサイズに応じて、違う時間の単位があることを、生物学は教えてくれる。生物におけるこのような時間を、物理的な時間と区別して、生理的時間と呼ぶ。 …… 寿命を心臓の鼓動時間で割ってみよう。そうすると、哺乳類ではどの動物でも、一生の間に心臓は二〇億回打つという計算になる。 寿命を呼吸する時間で割れば、一生の間に約五億回、息をスーハーと繰り返すと計算できる。これも哺乳類なら、体のサイズによらず、ほぼ同じ値となる。 ──本川達雄『ゾウの時間 ネズミの時間:サイズの生物学』中公新書1087、中央公論新社、2011年11月30日、Kindle版、no. 128–133。
──ル・コルビュジエ『モデュロールI』吉阪隆正〔訳〕、S選書111、鹿島出版会、1967年11月1日、p. 65。Le Corbusier, “Le Modulor,” 1948.
──ル・コルビュジエ『モデュロールII』吉阪隆正〔訳〕、SD選書112、鹿島出版会、1976年12月5日、p. 44。Le Corbusier, “Le Modulor II,” 1954.
ロバート・ヴェンチューリ『建築の多様性と対立性』伊東公文〔訳〕、SD選書174、鹿島出版会、1982年11月30日、p. 241より。Robert Venturi, “Complexity and Contradiction in Architecture,” New York: The Museum of Modern Art, 1966, 1977.
グリッド・システムは、アメリカ中西部の街や郊外のプランとか、カイロやコルドバの柱の林立するモスクの内部など、どんな形のどんなスケールのものでも、即興的な使い方、変化に富んだ使われ方が可能である。 ──ロバート・ヴェンチューリ『建築の多様性と対立性』伊東公文〔訳〕、SD選書174、鹿島出版会、pp. 244–256。Robert Venturi, “Complexity and Contradiction in Architecture,” New York: The Museum of Modern Art, 1966, 1977.
「レジェ」(Leger, 1957)、「ヒロシマ」(Hiroshima, 1957)、「エドガー・フェルノート」(Edgar Fernhout, 1963)といったポスター群が私たちに示しているのは、「表現主義的モダニスム」とでも言うべきモダン・デザインのあり方である。クロウエルのデザインは、常に要素的で、対象を切り詰めてゆき、そのエッセンスだけを残すというものだが、それにもかかわらず、その表現は非常にバラエティ豊かで、しかも画面への多様なアプローチを受け入れる余地が、驚くほど残されている。 ──Kerry William Purcell, ‘Interview: Modern Method’, “Eye Magazine,” no. 79, Spring 2011.
人間は行為することによって祭祀の車輪を回転させ続けなければならない。それによってブラフマンは遍在する。 ──上村勝彦〔訳〕『バガヴァッド・ギーター』岩波文庫赤68-1、岩波書店、2017年5月18日。
シャネルにとって時間は「スタイル」であり、クレージュにとっては「モード」であって、これが二人のちがいなのである。p. 47 こういうわけで、一方には伝統があり(その内部での刷新がある)、他方には変革がある(しかも暗黙の一貫性がある)。一方にあるのは古典主義(感じやすくても)であり、他方にあるのはモダニズム(親しみやすくても)である。二者の決闘を要請しているのは現代社会であると思わなければならない。pp. 50–2 ──ロラン・バルト「シャネル vs クレージュ」『ロラン・バルト モード論集』山田登世子〔編訳〕、筑摩学芸文庫、筑摩書房、2011年11月10日、pp. 47–55。(初出Marie Claire, 1967)
事物と私たちとの関係はよそよそしいものではありません。おのおのの事物が私たちの身体、私たちの生命に直接語りかけ、人間的な性格(素直な、穏和な、敵意のある、反抗的な)を帯びています。そして逆に事物は、私たちが好んだり嫌ったりするふるまいの象徴として私たちのなかに住んでいます。人間は事物のなかに取りこまれており、事物も人間のなかに取りこまれているというわけです。精神分析学者の言い方にならえば、事物とはコンプレックスなのです。セザンヌが「画家は事物の「光輪」を描かなくてはならない」と述べるとき、彼の言いたかったのはこの点にほかなりません。 ──モーリス・メルロ=ポンティ『知覚の哲学: ラジオ講演1948年』菅野盾樹〔訳〕、ちくま学芸文庫、筑摩書房、2011年7月10日、pp. 140–1。Maurice Merleau-Ponty, “Causeries 1948, textes établies et annotées par Stéphanie Ménasé,” Paris: Éditions du Seuil, 2002.
ここでわれわれは、必ずしもいつも明瞭に意識されるとは限らない特有の困難に遭遇する。すなわち、理念と経験の間には一定の間隙が厳然として存在しているように見えて、われわれがそれを飛び越えようといかに全力を尽くしてもむだである。それにもかかわらず、われわれが永遠に努力してやまないのは、この深い間隙を理性・悟性・想像力・信仰・感情・妄想をもって、もしほかにできることがなければ荒唐無稽をもってしても克服することである。 ──ゲーテ「省察と忍従」『色彩論』木村直司〔訳〕、ちくま学芸文庫、筑摩書房、2001年3月7日、pp. 18–20。Johann Wolfgang von Goethe, “Bedenken und Ergebung,” 1818.
芸術作品の形式は作品から分離することができない。 ──スザンヌ K. ランガー〔著〕『芸術とは何か』池上保太、矢野萬里〔訳〕、岩波新書青641、岩波書店、1967年5月20日、p. 30。Susanne K. Langer, “Problems of art,” 1957.
およそ東西南北と万遍なく振分けた方角のあるところなんぞに、気のきいたバケモノが出るはずもない。この筋その筋と筋だくさんの文明の産物とは、佐太はうまれがちがう。そもそも佐太のおいたちはかの林檎の木の下の穴、その地の底を極として出発した。すでに極である。そこには東西南北はない。 ──石川淳『荒魂』1964年より
人はなぜ追憶を語るのだろうか。どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。──だが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。そうした所作は死ぬまでいつまでも続いてゆくことだろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持ちがするのだろうか。 ──北杜夫『幽霊』冒頭、1956年自費出版、 1960年中央公論社から刊行。
そこにそうしていると、波の音と、水の激動が、僕の感覚を定着させ、僕の魂から一切の激動を駆逐して、魂をあるこころよい夢想の中にひたしてしまう。そして、そのまま、夜の来たのを知らずにいることがよくある。この水の満干、水の持続した、だが間をおいて膨張する音が、僕の目と耳を撓まず打っては、僕の裡にあって、夢想が消してゆく内的活動の埋め合わせをしてくれる。 …… 僕は長い一生の有為転変の中にあって気づいたのだが、最も甘美な享楽と、最も強烈な快楽の時代というものは、その追憶が僕を最も惹きつけ、感動させる、そういった時代では案外ないものである。あの夢中と熱狂の短い時期は、それがどんなに激しかろうとも、また、その激しさそのもののために、実は、人生という線の中のまばらな点々にすぎないのである。それらの時期が、一つの状態を構成するには、あまりに稀有であり、あまりに早く過ぎ去る。そして、僕の心が思慕する幸福というのは、消えやすい瞬間でできているのではなくして、単純で、永続的の状態なのである。それ自身においては、激しい何物も有していないが、その持続が魅力を増加していって、ついには、そこに最高の幸福が見いだされるにいたる、そういう状態なのである。 ──ルソー「第5の散歩」『孤独な散歩者の夢想』青柳瑞穂〔訳〕、新潮文庫、新潮社、2016年3月25日。Jean Jacques Rousseau, “Les Reveries du Promeneur Solitaire,” 1782.
真に重大な哲学上の問題は一つしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。 ──アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』清水徹〔訳〕新潮文庫、新潮社。Albert Camus, “Mythe de sityphe,” 1942.
ぼくの眼は千の黒点に裂けてしまえ 古代の彫刻家よ 魂の完全浮游の熱望する、この声の根源を保証せよ ぼくの宇宙は命令形で武装した この内面から湧きあがる声よ…… ──吉増剛造「疾走詩篇」冒頭『黄金詩集』1970年より
茶店にすわれるは 疲れたる旅びと。 そは余人ならず 道楽むすこ。 ──ヘルマン・ヘッセ『クヌルプ』高橋健二〔訳〕、新潮文庫、新潮社、2016年4月22日。Hermann Hesse, “Knulp,” 1915.
思考を健全にしうるのは労働によってのみであり、労働を幸福なものとしうるのは思考によってのみなのであって、両者を分離すればかならず罰があたる。〔…〕画家は自分で使う顔料を擦りつぶすべきであり、建築家は石工の現場で部下たちとともに働くべきだ。工場主は工場の誰よりも腕の立つ職工であるべきだ。そして人と人を区別するのは経験と技量の差だけであるべきで、権威と冨巳はそれに応じて自然かつ正当に獲得されるべきものなのである。 ──ジョン・ラスキン『ゴシックの本質』川端康雄〔訳〕、みすず書房、2011年10月7日、pp. 48–49。John Ruskin, ‘The Nature of the Gochic,’ “The Stone of Venice,” 3 vols., London: George Allen, 1851, 53.
市九郎は一心不乱に槌を振った。槌を振っていさえすれば、彼の心には何の雑念も起らなかった。人を殺した悔恨も、そこには無かった。極楽に生れようという、欣求ごんぐもなかった。ただそこに、晴々した精進の心があるばかりであった。彼は出家して以来、夜ごとの寝覚めに、身を苦しめた自分の悪業の記憶が、日に薄らいでいくのを感じた。彼はますます勇猛の心を振い起して、ひたすら専念に槌を振った。 ──菊地寛『恩讐の彼方に』1919年。
狂女はとりかえしのつかぬ異端者になっている。それはどうしようもない。淋しくおそろしいことではあるが、もうきまってしまったことだ。自分は彼女とはちがう。しかしもしかしたら……、と市子は思った。もしかして狂女のようなものに自分がなるとして、そのようなこともまたあり得ないことではない、と彼女は思った。 ──武田泰淳「海肌の匂い」『展望』1949年10月号。
滅び去った民族、消え失せた集団、抹殺された国は数知れない。生ある者は、かならず死ぬ。(中略)時間は、空間によって支えられている。空間的なひろがりを拒否して、せまき個体の運命にとどまることは許されない。すべてのものは、変化する。おたがいに関係しあって変化する。この「諸行無常」の定理は、平家物語風の詠嘆に流してしまってはいけない。無常がなかったら、すべては停止する。 ──武田泰淳「わが思索、わが風土」朝日新聞社〔編〕『わが思索 わが風土』朝日新聞社、1972年11月10日。
男の胸は鋼のひかりもて鎧ふべし血のなかの鹽いたきかな ──塚本邦雄『感幻樂』1969年。
君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く ──額田王(万葉集より)。
私が1913年に芸術を対象的なもののバラストから解き放とうと死にものぐるいの努力で、正方形のかたちに活路を求め、白い地に黒い正方形しか描かれていない作品を発表したとき、批評家も、彼と一緒になって世間も嘆息まじりにこういったものだ「私達が愛情を注いできたものすべてが失われてしまった。私達は砂漠にいる……眼前にあるのは白い地の上の黒い正方形だけだ!」と。 ──カジミール・マレーヴィチ『無対象の世界』五十殿利治〔訳〕、バウハウス叢書11、中央公論美術出版、1992(平成4)年4月25日、p. 66より。Kasimir Malewitch, “Die Gegenstandslose Welt,” Bauhausbücher, 1927.
「〔……〕芸術の使命は自然を模写することではない、自然を表現することだ。君はいやしい筆耕ではない、詩人なんだ」と老人は頭ごなしポルピュスをさえぎって、強く叫んだ。「さもなければ彫刻家は、女をそのまま鋳型にとれば、ほかになんにも仕事はいらんわけじゃないか。ところでね、ためしに君の愛人の手を鋳型にとって、目のまえにおいてみたまえ。まるで似もつかない恐ろしい死骸に出くわすだけだろう。そうして君は、彫刻家ののみを求めにいかずにはいられなくなるだろう。彫刻家はその手を正確に写しとることはしないが、その動きと生命を君に彫り上げてみせるだろう。われわれは事物の精神を、魂を、特徴をつかまえなくてはならない。 ──オノレ・ド・バルザック「知られざる傑作」『知られざる傑作 他五篇』水野亮〔訳〕、岩波文庫赤529-1、岩波書店、1928年11月25日、p. 150。Honoré de Balzac, “Le Chef-d’œuvre inconnu,” 1831.
人物を描くひとは、もしかれが対象になりきることができないなら、これをつくりえないであろう。 ──レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』上、杉浦明平〔訳〕、岩波文庫青550-1、岩波書店、1954年12月5日、p. 237。
すべての間違いの元は、唯一無二の「本当の自分」という神話である。 そこで、こう考えてみよう。たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。 ... 一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。 個人を整数の1とするなら、分人は、分数だとひとまずはイメージしてもらいたい。 私という人間は、対人関係ごとのいくつかの分人によって構成されている。そして、その人らしさ(個性)というものは、その複数の分人の構成比率によって決定される。 分人の構成比率が変われば、当然、個性も変わる。個性とは、決して唯一不変のものではない。そして、他者の存在なしには、決して生じないものである。 ──平野啓一郎『私とは何か:「個人」から「分人」へ』講談社、2012年9月20日。
〔テレパシー能力を脳組織切除手術によって封印し、所属していたテレパシー部隊を除隊したエレノアは、この物語の主人公ベントリーを誘惑する〕「あたしは部隊にとどまっていたかったんだと思うの。でもあたしは部隊が憎かった。ひとの心をのぞきこんで、耳をすまして、心に起こることをなんでも知ってしまうなんて。独立した人格として生きているとはいえないわ。一種の集団的有機体よ。愛することも憎むこともできない。あるのは仕事だけ。それも自分の仕事じゃない。そんな生活を八十人のひとたちと、ウェイクマンのようなひとたちとわかちあわなければならないのよ」 ──フィリップ・K. ディック『偶然世界』ハヤカワ文庫SF 241、早川書房、1977年5月30日、p. 123。Philip K. Dick, “Solar lottery”, 1955.
「おほかた人のまことの情といふ物は、女童(めのわらは)のごとく、みれんに、おろかなる物也、男らしく、きつとして、かしこきは、実の情にはあらず、それはうはべをつくろひ、かざりたる物也、実の心のそこを、さぐりてみれば、いかほどかしこき人も、みな女童にかはる事なし、それをはぢて、つゝむとつゝまぬとのたがひめ計也(ばかりなり)」 ──本居宣長「紫文要領」巻下。出典:小林秀雄『本居宣長』上巻、新潮社、Kindle版・No.2367–2370。
美は痙攣的なものだろう、それ以外にはないだろう。 ──アンドレ・ブルトン『ナジャ』巖谷國士、岩波文庫赤590-2、岩波書店、2003年7月16日、p. 191。Andre Breton, “Nadja,” 1928.
──マックス・エルンスト『百頭女』巖谷國士〔訳〕、河出文庫、河出書房新社、1996年3月4日。初出:河出書房新社、1974(昭和49)年。Max Ernst, “Le femme 100 têtes,” 1929.
──陰陽図。高田眞治、 後藤基巳〔訳〕『易経』上・下巻、岩波文庫 青 201-1/2、岩波書店、1969年6月16日・同7月16日より。
直立姿勢のおかげで、空間はヒト以前の存在には無縁な構造──「上」–「下」を貫く中心軸から水平に広がる四方向──に組織された。言い換えれば、空間は人体の周囲に、前後、左右、上下にひろがるものとして組織されるのである。方向づけ(オリエンタツィオ)のさまざまな方法は、この根源的経験──無限の、未知の、驚異的なものに見えるひろがりのただなかに「投げこまれた」と感じること──から生じた。なぜなら、人間は方向づけを失うことによってもたらされる混乱状態に生きながらえることはできないからである。「中心」の周囲に位置づけられたこの空間体験は、領土、集落、住居の、範例的な分割と配置の重要性と、その宇宙論的シンボリズムの重要性を説明する。 ──ミルチア・エリアーデ『世界宗教史』第1巻、ちくま学芸文庫、筑摩書房、2000年、p. 22より[Mircea Eliade, “Histoire des croyances et des idées religieuses,” 1976]。
イーフー・トゥアン『空間の経験:身体から都市へ』山本浩〔訳〕、ちくま学芸文庫ト2-1、筑摩書房、1993年11月4日、p. 69。初出:筑摩書房、1988年8月25日。Yi-Fu Tuan, “Space and place,” the University of Minesota, 1977.
ストーンヘンジの平面プラン。Wikipedia
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